お母ちゃんにプレゼント
この日は
おかあちゃんの事3
もうこの日は、士別から来ていたじいちゃんも、お姉ちゃんもいったんは、士別に帰りました
私はICUの本当の現場を見るのは、初めての経験だった・・・
現実はテレビの世界とは違ったね、面会に行くと、かあちゃんは、髪の毛はあっちゃ向いてるし
母ちゃんの口の中にはチューブがいっぱい、大ショックでした。
母ちゃんは、口が小さい・・・唇も薄い・・・この姿見てまた私は泣いてしまい、先生に言いました。
これから死んで行くのは、わかってるけど、体制を変えて下さいと、うちには小さな孫もいるんです。
こんな姿は小さい子には、見せられないのでって。
なんだかんだ、母ちゃん母ちゃんと呼んでいると目を開けて私たちの方を見て、口も動いてなんか話したそうにしている・・・先生を呼び、目が開きました言うと、お母さんは今夢見てるような感じなんだよと言われ、そっかと思い。
父親は俺は病院に3回は行くわ・・・私は2回でいいって、あの姿を見るのが辛くてね
この日も2回面会に行って、母ちゃんの体の態勢をかえてくれてた。
長々面会も出来ません。顔を見に行く程度でした。
この日は、父親と、私の二人の夜だった。
うちには、ちょんの写真のコルクボード、絵の大きながくぶちがありました。家では色んな現象が起きました。
まずは突然、電気が消えた・・・あれ父親が停電??ブレーカなんてあがる事してないもんな、ほかのマンションも電気はついてるよ、うちだけだ、これは母ちゃんが何かのサインを出してると思った。
この後も、ちょんのコルクボードがいきなり落ちた、あれ?こんなの落ちるわけないよ、だって俺が落ちないように、電気ドリルで落ちないようにつけたんだから・・・
だから母ちゃんだって、今さまよってる状態なんだからサインを出してるだと、今度は窓ふきをしてるように、キュッキュと1時間くらい音がなりまやなかった。
これは、母ちゃんがベランダの窓磨いてる音だわって言って、そうだよな?なんか言ってるんだよなって言って、俺明日は朝から状態みてくるわって言うから、私は、あの顔を見て大ショックを受けたので、私は、
二回行く、ちょんも心配してるから、ちよんと一緒に居てやるって言って家に居たら、3時ごろ、親からの
連絡、ちょっと来なきゃだめだ・・・今向かいに行くから外でまってれとの連絡が来た。
急いで外で待ってると、なかなか来ない、車でなんぼ混んでても10分もあれば来るのにと思いながら、
待ってると、私は見た、母ちゃんがいつもの格好で、買い物袋2個も持って歩いてる姿を、あっ母ちゃんと
思って、追いかけたらすぐに消えてしまった・・・最後に私に会いに来てくれたんだと思い、そのうち迎えが来て、病院にこの日から、泊りこみになりました。
一番奥のベットに居たけど、一番ICUの玄関に近い場所に移された・・・もう泊りこみだから、同じ階の
むかしから知ってるおばさんや、お姉さんに、ちょんと、あんずのご飯を頼んだよね
この病院は院内の敷地ないでもたばこはだめ
常にガードマンが見てる、私は近くの喫茶店に行っていつもここで泣いてた、大手喫茶店です。お客さんを見たら、泣いてる人が沢山居たから、これも
病院の見舞い客や、今ICUに入ってる家族だなとすぐ思った。
ICUは、先生はちょくちょく見に来ないんだと思ったら、モニターで全部チェックしてるんだね~
私はICUに入るまで二日半ねてなかった・・・
なんだか喫茶店から病院に戻るまでフラフラしてたんだけど、なんとかICUに入ろうとした時に、ぶっ倒れてしまった、血液検査やらされた、針を刺されて起きた、院内感染もあるから股関節から血を取られ、病院からは疲労だねって看護婦さんに言われて私は母ちゃんの横で寝かされた、このままだと葬式までもたないぞって言われて・・・義理姉が、父親に説明してた、この子お母さんICUに入るまで寝てないのって
1時間でも寝なって言ったけど寝てないはずと説明して、私はしばらく眠りにつけた。
みんな家族は泊りこみだから、みんな変わる変わりに寝てたけど、私は相当いびきをかいて寝てたようだ
いやいやお前のいびきうるさくて、しかも寝言も言うし、父親は寝れんかったらしい
母ちゃん私は、もう元気よ~命日の準備はじゃがいも忘れただけ、あと線香が少ないだけ~あとから買いに行くよ、ほら雛祭りの準備も出来てるよ~ちょんも、あんずも、まめも女の子だからね

ちょんには、雛祭りの虎やのミニ羊羹をあげたよ

そしてお母ちゃんの棺に入れてやりたかったけど、あの時は頭回らなかったから、ネットで調べて、お母ちゃんの天職だった物も買って来てるからね
さて今日は昼から出かけて夜は、旦那と前倒し母ちゃんの法要をしてくるよ、もちろんあんたの写真持ってね

現実はテレビの世界とは違ったね、面会に行くと、かあちゃんは、髪の毛はあっちゃ向いてるし

母ちゃんは、口が小さい・・・唇も薄い・・・この姿見てまた私は泣いてしまい、先生に言いました。
これから死んで行くのは、わかってるけど、体制を変えて下さいと、うちには小さな孫もいるんです。
こんな姿は小さい子には、見せられないのでって。
なんだかんだ、母ちゃん母ちゃんと呼んでいると目を開けて私たちの方を見て、口も動いてなんか話したそうにしている・・・先生を呼び、目が開きました言うと、お母さんは今夢見てるような感じなんだよと言われ、そっかと思い。
父親は俺は病院に3回は行くわ・・・私は2回でいいって、あの姿を見るのが辛くてね

この日も2回面会に行って、母ちゃんの体の態勢をかえてくれてた。
長々面会も出来ません。顔を見に行く程度でした。
この日は、父親と、私の二人の夜だった。
うちには、ちょんの写真のコルクボード、絵の大きながくぶちがありました。家では色んな現象が起きました。
まずは突然、電気が消えた・・・あれ父親が停電??ブレーカなんてあがる事してないもんな、ほかのマンションも電気はついてるよ、うちだけだ、これは母ちゃんが何かのサインを出してると思った。
この後も、ちょんのコルクボードがいきなり落ちた、あれ?こんなの落ちるわけないよ、だって俺が落ちないように、電気ドリルで落ちないようにつけたんだから・・・
だから母ちゃんだって、今さまよってる状態なんだからサインを出してるだと、今度は窓ふきをしてるように、キュッキュと1時間くらい音がなりまやなかった。
これは、母ちゃんがベランダの窓磨いてる音だわって言って、そうだよな?なんか言ってるんだよなって言って、俺明日は朝から状態みてくるわって言うから、私は、あの顔を見て大ショックを受けたので、私は、
二回行く、ちょんも心配してるから、ちよんと一緒に居てやるって言って家に居たら、3時ごろ、親からの
連絡、ちょっと来なきゃだめだ・・・今向かいに行くから外でまってれとの連絡が来た。
急いで外で待ってると、なかなか来ない、車でなんぼ混んでても10分もあれば来るのにと思いながら、
待ってると、私は見た、母ちゃんがいつもの格好で、買い物袋2個も持って歩いてる姿を、あっ母ちゃんと
思って、追いかけたらすぐに消えてしまった・・・最後に私に会いに来てくれたんだと思い、そのうち迎えが来て、病院にこの日から、泊りこみになりました。
一番奥のベットに居たけど、一番ICUの玄関に近い場所に移された・・・もう泊りこみだから、同じ階の
むかしから知ってるおばさんや、お姉さんに、ちょんと、あんずのご飯を頼んだよね

この病院は院内の敷地ないでもたばこはだめ

病院の見舞い客や、今ICUに入ってる家族だなとすぐ思った。
ICUは、先生はちょくちょく見に来ないんだと思ったら、モニターで全部チェックしてるんだね~
私はICUに入るまで二日半ねてなかった・・・
なんだか喫茶店から病院に戻るまでフラフラしてたんだけど、なんとかICUに入ろうとした時に、ぶっ倒れてしまった、血液検査やらされた、針を刺されて起きた、院内感染もあるから股関節から血を取られ、病院からは疲労だねって看護婦さんに言われて私は母ちゃんの横で寝かされた、このままだと葬式までもたないぞって言われて・・・義理姉が、父親に説明してた、この子お母さんICUに入るまで寝てないのって
1時間でも寝なって言ったけど寝てないはずと説明して、私はしばらく眠りにつけた。
みんな家族は泊りこみだから、みんな変わる変わりに寝てたけど、私は相当いびきをかいて寝てたようだ


母ちゃん私は、もう元気よ~命日の準備はじゃがいも忘れただけ、あと線香が少ないだけ~あとから買いに行くよ、ほら雛祭りの準備も出来てるよ~ちょんも、あんずも、まめも女の子だからね


ちょんには、雛祭りの虎やのミニ羊羹をあげたよ


そしてお母ちゃんの棺に入れてやりたかったけど、あの時は頭回らなかったから、ネットで調べて、お母ちゃんの天職だった物も買って来てるからね

さて今日は昼から出かけて夜は、旦那と前倒し母ちゃんの法要をしてくるよ、もちろんあんたの写真持ってね

お母ちゃんの事2
これは記録として書いておきます。
危篤となって二日目、どんどん親戚やら、親と交流があった人が次から次と面会に来てました。
皆さまありがとうございました、でもこの日は、うちの旦那も来たから、しばらく帰れないから、ちょんとあんず連れて来てとお願い、あと母ちゃんの写真がパソコンの中に入ってるからなんかいい写真探して持って来ないと、葬儀の時に困るのでお願いしました。
この日は、お母ちゃんの親もかけつけました、じいちゃんは足が悪いから汽車には乗れない・・・だからバスに乗せてお母ちゃんのお姉ちゃん夫婦がかけつけました。
でも母ちゃんはもう疲れてました。たまに目をつぶったり、そして難問・・・私はこの時1年で30キロも太ってたので、やばい喪服がない・・・困った、買うしかない・・・近くに大手のスーパがあったので、義理姉に付き合ってもらい、ちょっとだけ病室から離れてました。
色々喪服を着たけど、入りません~しかも高い、10万越えてる
マタニティ買うかいって話になったけど、これも高いなと思って、服屋さんに行ったら、黒いスカートと、上は黒だけど下に少しピンクの花柄が入ってた、姉がこのピンクはなんとか隠せばなんとかなるって言うからそれを購入
あのときは、そこのスーパに幼馴染のおかあさんが居たから、今葬式に使う服買いに来たって言ったら、
今母ちゃんこんな状態なのって写真を見せたら、おばさんも泣いてしまい、私も仕事終わったらすぐ行くって言われて、また病院に帰りました。
その間病院側では、肺のCTを取って、もうお母さんが限界だよと言われ、でも夕方までは待って下さい、まだ口の聞けるうちに会わせたい人がいるのでって・・・
母ちゃんもバカじゃない・・・自分が死ぬって事はもう言わなくてもわかってた。
私が病室を離れてる間に、先生と看護婦さんが病室から出てきた。告知をしたようだ。先生・・・いや何を言ったの?と聞くとこれからの事だよって、死んで行く人もどんな死に方するのも、大事な事なんだよと言われ、母親は泣いて居ましたかと聞くと、いや泣かなかった、そうですかと私が言った。
でも告知をされたらショックだったと思います。なんも5日前くらいには、私とメールで、もう耳も、また難聴になったし、私かかりつけの病院に通う、家に帰るまで言ってたんだから・・・だめだと言いました。
膠原病は、半年は入院はしないとだめだとメールしてたんだからね。
だんだん夕方になり、幼馴染のおばさんが来た
もう10年以上は会ってなかったから、母ちゃんは、ほらおばさんも来てくれたよって言ったら、小さい声でわかんないって言うから、私はノート持ってたので、紙に書いたらすぐにわかった、初めて自力でマスク外して、嬉しそうな顔して起き上がったのだ
奇麗になって羨ましいわって、なんか母ちゃんはまだ話したそうだったけど、おばさんも、涙見せたらだめだと思ってすぐに顔を見て、うちらこれからだよ、あんた頑張んなよと言って病室を出た。
病室にはカメラもついてたから、おばさんが帰ったら、すぐ先生が来た・・・
ICUに連れて行ってもいいかな、父親を呼んで来ますので待って下さいと言ったら、なんとうちの父親は
じいちゃんたちに、居酒屋でご飯食べさしてる、バカ野郎と思ったけど、今すぐ病院に戻れって言ったけど
先生は、すぐには麻酔かけないと思うからICUに入っても、まだ大丈夫だよ、でもICUの先生の判断だけどねって・・・私もすぐには麻酔をかけないと思ったら、そしてね、時間もどんどん遅くなったら、ICUにも入れなくなったら困るから、今運んでいいかいって言うから、母ちゃんに言いました。
これから、ICUに行かなきゃならないんだって、でも母ちゃんは、最後に私にはいいました・・・・
おっかないなぁ・・・私は言った、今みんな行くから大丈夫だよ、これが最後会話になりました
すぐにICUにかけつけると、なんともう麻酔かけられてた・・・もう話も出来ない。最後に会話したのは私だった。でも私でよかった、私じゃないと母ちゃん弱音もはけなかったと思うからね。
この日は、私も実家に帰りました。
今日は母ちゃんの大好きなうぐいす餅買ってきたよ~

そして夜はすき焼きよ~旦那が霜降りの牛肉もらってきたからね~うちの実家は霜降りしか食べなかったからね

しこたま食べなさい
最近は、母ちゃんまめと遊んでるのかい?まめが、仏壇のところで、だれかと遊んでるんだよ、お母ちゃんでしょう、まめも可愛いよ~遊んでやってね。
さてと、これからちょっと出かけなきゃ~あとはまったりしてよう、昨日なんて疲れて、私九時半に布団に入りました
こんなに早く寝ていいのかなと思いつつ、まだ9時半だけど、疲れてる時は、体を休めないとだめだと思い、しっけいして寝ちゃった
危篤となって二日目、どんどん親戚やら、親と交流があった人が次から次と面会に来てました。
皆さまありがとうございました、でもこの日は、うちの旦那も来たから、しばらく帰れないから、ちょんとあんず連れて来てとお願い、あと母ちゃんの写真がパソコンの中に入ってるからなんかいい写真探して持って来ないと、葬儀の時に困るのでお願いしました。
この日は、お母ちゃんの親もかけつけました、じいちゃんは足が悪いから汽車には乗れない・・・だからバスに乗せてお母ちゃんのお姉ちゃん夫婦がかけつけました。
でも母ちゃんはもう疲れてました。たまに目をつぶったり、そして難問・・・私はこの時1年で30キロも太ってたので、やばい喪服がない・・・困った、買うしかない・・・近くに大手のスーパがあったので、義理姉に付き合ってもらい、ちょっとだけ病室から離れてました。
色々喪服を着たけど、入りません~しかも高い、10万越えてる


今母ちゃんこんな状態なのって写真を見せたら、おばさんも泣いてしまい、私も仕事終わったらすぐ行くって言われて、また病院に帰りました。
その間病院側では、肺のCTを取って、もうお母さんが限界だよと言われ、でも夕方までは待って下さい、まだ口の聞けるうちに会わせたい人がいるのでって・・・
母ちゃんもバカじゃない・・・自分が死ぬって事はもう言わなくてもわかってた。
私が病室を離れてる間に、先生と看護婦さんが病室から出てきた。告知をしたようだ。先生・・・いや何を言ったの?と聞くとこれからの事だよって、死んで行く人もどんな死に方するのも、大事な事なんだよと言われ、母親は泣いて居ましたかと聞くと、いや泣かなかった、そうですかと私が言った。
でも告知をされたらショックだったと思います。なんも5日前くらいには、私とメールで、もう耳も、また難聴になったし、私かかりつけの病院に通う、家に帰るまで言ってたんだから・・・だめだと言いました。
膠原病は、半年は入院はしないとだめだとメールしてたんだからね。
だんだん夕方になり、幼馴染のおばさんが来た

奇麗になって羨ましいわって、なんか母ちゃんはまだ話したそうだったけど、おばさんも、涙見せたらだめだと思ってすぐに顔を見て、うちらこれからだよ、あんた頑張んなよと言って病室を出た。
病室にはカメラもついてたから、おばさんが帰ったら、すぐ先生が来た・・・
ICUに連れて行ってもいいかな、父親を呼んで来ますので待って下さいと言ったら、なんとうちの父親は
じいちゃんたちに、居酒屋でご飯食べさしてる、バカ野郎と思ったけど、今すぐ病院に戻れって言ったけど
先生は、すぐには麻酔かけないと思うからICUに入っても、まだ大丈夫だよ、でもICUの先生の判断だけどねって・・・私もすぐには麻酔をかけないと思ったら、そしてね、時間もどんどん遅くなったら、ICUにも入れなくなったら困るから、今運んでいいかいって言うから、母ちゃんに言いました。
これから、ICUに行かなきゃならないんだって、でも母ちゃんは、最後に私にはいいました・・・・
おっかないなぁ・・・私は言った、今みんな行くから大丈夫だよ、これが最後会話になりました

この日は、私も実家に帰りました。
今日は母ちゃんの大好きなうぐいす餅買ってきたよ~

そして夜はすき焼きよ~旦那が霜降りの牛肉もらってきたからね~うちの実家は霜降りしか食べなかったからね


しこたま食べなさい

さてと、これからちょっと出かけなきゃ~あとはまったりしてよう、昨日なんて疲れて、私九時半に布団に入りました

